
FORRESTER 地下世界への入り口?合言葉はSpice&Music 中目黒に佇むカレー屋さんに迫る
中目黒と代官山の間ほどに位置する、カレー専門のレストラン”FORRESTER spice&music”。一見、アットホーム且つ、程よくアーバンな雰囲気漂う中目黒らしいお店であるが、しばしばズラリとビートメーカーやDJ達が店内を埋め尽くす。このお店から通ずる、”地下世界”とそのルーツに迫るべく、店主のコヤマさんに話を伺った。
FORRESTERのカレーはどこから
2015年10月にオープンしたFORRESTER、ここのカレーのルーツは、かつて原宿にあった伝説のカレー屋さん”GHEE”にある。GHEEは十数年前にクローズしているが、”裏原”が流行しだすより少し前の時代、おもしろい人たちが集う場所だったそうだ。モデルやミュージシャン、俳優などが働いていたり、とかなりカルチャー色の強いお店だった、とコヤマさんは語る。
ここで働いていた”赤出川さん”という方が、のちにコヤマさんの師匠となる。7年程前、場所を間借りして転々としながらカレー屋さんを営んでいた赤出川さんのもとでコヤマさんはカレー作りを教わった。そして、GHEEをルーツとするスタイルのカレーのメニューで、2015年にFORRESTERを出店したのだ。
コヤマさんの歴史
このお店の真相に迫るには、言うまでもなく、コヤマさんの歴史を紐解く必要がある。
コヤマさんの飲食業のキャリアのスタートは某有名ホテルであった。ホテルにおける飲食業に携わり、所謂カチッとしたお作法でのサービスに勤しんだ。
ホテルでの経験も積んだ上で、自由度の高いスタイルを求め、とあるベンチャー企業のカフェ事業に携わる道へとシフトする。この企業は、オリジナルの家具やインテリアグッズを取り扱う小売をメインとしながら、(その当時は)クリエイティブな発想をふんだんに盛り込んだカフェ事業にも注力しており、コヤマさんにとっては、その後の自身の飲食業の軸となる重要な経験になったという。「こういう飲食の在り方もあるんだなぁ」と思ったそうだ。
コヤマさんが次にチャレンジしたのは海の家だった。友人と2人で企画書を作成し、「こういうの一緒にやりませんか」と出資してくれる企業を探して回ったそうだ。その中でジュングループが力を貸してくれることに。葉山に出店、さまざまな遊び(のちに詳しく記します)を展開。2012年から、並行してカレー作りの修行をし、約8年間海の家を営んだのち、2015年にカレー屋さん”FORRESTER”をOPEN、海の家を畳んだ。
こだわりはお酒にも
数々の酒瓶が並ぶ中、ある特定のお酒だけバリエーションが異常に豊富。瓶の容姿まで極めて魅力的なクラフトジンだ。FORRESTER立ち上げのタイミングから、既にジンに特化していこうと決めていたそう。ジンは、スパイスやフルーツ、花などをブレンドして蒸留することから、”spice&music”がコンセプトであるFORRESTERにはピッタリなお酒なのだ。「10年前ちょっと前までは、洋服屋にしても食器があったり、ライフスタイル提案型だったけど、もうその流れも変わるだろうなぁってね、振り切っていこうって」コヤマさんは言う。そのときちょうど世界でも徐々にクラフトジンの種類が増えていっている時で、より集めるのも楽しくなっていったとか。舌にも目にも保養なジン、FORRESTERではカレー同様欠かさず嗜んでおきたい。

FORRESTERの正体に迫る!
ここまでの話だけだとFORRESTERは、様々な形態の飲食業を経験したコヤマさんが、カレーとジンにこだわって営んでいるお店、といったところ。ここからは、このお店の謎、DJやビートメイカーなど、業界で名を馳せる地下の英雄達が席を埋め尽くす所以に迫っていきたい。
はじまりは葉山の海の家。もともと、HipHopなどアンダーグラウンドミュージックが好きだったコヤマさんは、自ら切り盛りする場となった海の家に、DJ達を呼んで空間作りの一端を担ってもらうようになる。その一連のムーブメントにおいて、特筆すべきはMr.3の存在だ。
海の家がオフシーズンのときにコヤマさんは淡島通りのバーで働いていたのだが、Mr.3はそこの常連客の一人だったという。Mr.3という男は、クラブイベントの切り盛りに精を出しつつ、とあるアウトドアテイストのファッションブランドをデザイナーとともに運営していた。月曜はショップがお休みであることから、コヤマさんは、毎週月曜に海の家でのイベントオーガナイズをMr.3にオファー、Mr.3は快諾した。
Mr.3は、数えきれないDJ達を海の家に送り込んだ。有名なDJも、駆け出しのDJも。その日その時間が、彼らによって彩られたことは言うまでもないが、この時期に現場を共にした者同士で強固な人間関係が、財産として今も残っているといえる。このMr.3こそ、現在 “90BPM TAKEOVER” というLAビートなどのビートものHIPHOPを中心としたパーティを開催し、数多くの業界人から慕われる、謂わば東京のビートシーンの支配者的存在だ。そして、世にいう”中目黒”とはまた違った、地下の中目黒のシーンを形成した、重要人物の一人なのだ。
コヤマさんは、自ら直接DJにオファーメッセージを送ることもあった。”DJ KENSEI”も、それがきっかけで出演してくれるようになったDJの一人。コヤマさんが兼ねてよりのファンでメッセージを送ったという。8年間の海の家でのイベントでは、”DJ NORI” “TOSHIO MATSUURA” “井上 薫”など、今のクラブ業界の礎を築いたといえるようなDJ達も腕を奮ってくれたそうだ。
このようなバックグラウンドが有り、コヤマさんを取り巻く環境は、アンダーグラウンドミュージックと共存していることが前提にある。 お店に今でも多くの業界人がカレーを食しに来るだけでなく、音楽イベントへの出張出店も頻繁に行っているのも納得。
“食”という誰もが触れるものを入り口に構えながら、その先に一歩踏み込めば、魅惑の音楽の底なし沼。「それは、確実に狙ってますね」コヤマさんはいう。「全てにさりげなく対応するっていうのは目指しているから」店内には、一部スッテカーが所狭しと貼ってある箇所があったりはするが、さほど強くHIPHOPやクラブの匂いを強く感じさせるものはない。あくまでさりげなく、少しだけその奥にあるものを仄めかす、そんな粋なスタンスこそが、このお店の魅力となっているのだ。

FORRESTERのこれから
コヤマさんに今後の”企み”について伺った。
「…最近それ、すごい悩んでて。なかなか難しいんすけど。やっぱりもっと規模の広い遊び場かな」
— 何かのイベントに出張出店、という形ではなく母体として、という?
「そうそう、そうですね。組織としての体力をつけてね。その方が、みんな集まれるし、全員ハッピーだしね。」
コヤマさんの経歴、すなわち選んできた道を見て明確にわかるのは、常に”食”と”遊び場”という2つの軸があること。そのテイストとバランスを探り続けて、今のコヤマさん、そしてFORRESTERがある。筆者がオーガナイズするクラブイベントにても、FORRESTERにフードの出店を毎度お願いしているのだが、そういったクラブイベントの出店はもちろんビジネス以外の繋がり、そして心の拠り所としての”遊び場”に生息することへパッションの表明なのだ。
しかし、飽くまでコヤマさんが強調するのは、飲食店としての質。プロから見ても納得できるクオリティであり、きちっとやる中で、どう崩すか、どう趣味を入れるか、でも出しすぎずに。そんな飲食のプロとしてのプライドがあってこそ、遊び場が発展してゆく。
スパイスと音楽のある遊び場、FORRESTERが今後どんな提供するそんな空間に、胸を高揚させずにはいられない。
Interview/Write/PhotoShoot: Jasmine
この投稿へのトラックバック
-
-
[…] […]
-
- トラックバック URL
この投稿へのコメント