新たな大人の集い場 “COUNTER CLUB” が下北沢にOPEN その背景と歴史をraudicaことCASHYの半生とともに紐解くpart2

きたる11/1(Fri)のCOUNTER CLUBのオフィシャルオープンに際し、10/25・26(Fri/Sat) の2日間でレセプションパーティが開催された。関係者達が所狭しと駆けつけ、新たな大人の集い場を堪能した。
COUNTER CLUBは、中目黒のアンダーグラウンドミュージックシーンを牽引するクラブ”Solfa“の系列店として下北沢にオープン。Solfaの存在なくして、COUNTER CLUBを語ることはできない。新たなベニューのオープンに際し、Solfaの店長を務めるraudica こと CASHYさんの半生を追い、更に地下音楽世界への高揚感を高めていきたい、そんな思いでインタビューを行った。

COUNTER CLUBの一角には料理や展示を出展できる、”fill”というスペースがある


Solfaの誕生

Wedgeの店長だった弾さんが、父親の会社 “251”(主にライブハウスの経営)を継ぐタイミングになり、弾さんは引き継ぐもの以外に新たにクラブの経営を構想。そこで、すでに関係値が築かれていたCASHYさんを誘う。弾さん、CASHYさん、店長としてジョインしたマナブさんの3人でSolfaを立ち上げる。オープン当初、CASHYさんは副店長だった。
エリアを中目黒で推したのはCASHYさん。会社の暗黙のモットーとして「一点突破」がある、と語ってくれた。すでにクラブが犇めき合っているところではなく、そのエリアにクラブ業として書き初めをするようなイメージだったのでないだろうか。
オープン当初は、ミニマルテクノなど、四つ打ちが中心の箱だった(時代的にも四つ打ちがクラブ業界を席巻していたのもある)。知名度が爆発的に上がる前のDJ NOBUさん(Futuer Terror)などもゲストに迎えて、CASHYさん自身のパーティを展開。そのパーティが、ご存知 “MADeLIA” である。現在はヒップホップを明確な軸としているパーティだが、当初は四つ打ち中心のパーティであった。CASHYさんの音楽性をストレートに投影したパーティで、Solfaがオープンしたその年から現在まで続く。

オーガナイザーとしての旗揚げ

自身が働くSolfaでMADeLIAを開催する傍、Club Asiaにて “BLAFMA” というパーティを、Wedge時代からの旧友、RAMAさんと立ち上げる。テーマは室内型フェス、当時全くなかったジャンルを切り開くという意志の元の開催だった。”フェス” をテーマに掲げるその心は、多種多様な音楽がひとつのパーティでクロスオーバーしている状態をめざすことであり、ハウス、テクノ、そしてヒップホップ、ときにはジャズバンドを入れたりすることもあった。2ヶ月に1回定期開催+スペシャル版もときに開催、平均して500〜600人、多い時で1000人以上収容するイベントに成長、それを5年間継続した。
ここに召喚したのが、THA BLUE HERB5lackGAGGLEDJ QuietstormOlive Oilなど、今日のアンダーグラウンドミュージックを語るには欠かせない面々。
音楽のジャンルには捕らわれない中には、必ず何かしらの共通項があるはず。CASHYさんは、アンダーグラウンドなもので且つ、パンチの効いたラインが並んだなと振り返りつつも、ただ狙ったというよりは、かっこいいと思うものをキュレートした結果そうなった、と語ってくれた。

ここで再び登場 Mr.3

Solfaが開業して4、5年経った頃、”Go Out“主催のイベント “Backpacker’s Night” がSolfaで開催された。ここにMr.3(別記事「FORRESTER 地下世界への入り口?合言葉はSpice&Music 中目黒に佇むカレー屋さんに迫る」にも登場)が現る。彼はその日、ラウンジでDJをしており、衝撃的な音楽をかけていたという。「すげぇ変な音かけてんな、、かっこいいな、、」と衝動にかられ、DJ中にビールを奢り、話しかけたそうだ。そこからMr.3との関係がはじまる。Mr.3がきっかけで、エッジの効いたヒップホップマインドのビートに改めて惚れ込んだと同時に、すでにその要素を盛り込んで開催していたBLAFMAにMr.3を「是非来てほしい」と招待。
Mr.3は、ラディカルなセンスが爆発的なのは元来だが、当初はDJというよりセレクターとしてビートを嗜んでいた。そんなMr.3はCASHYさんとの関係性ができて以降、より深入りする環境が目の前に広がり(オープン前のSolfaでDJの練習をすることもあったとか)、東京のビートミュージック業界を動かす存在へと覚醒していった。まさに水を得た魚!そして生まれたのがヒップホップビートパーティ “90BPM TAKEOVER” だ。これもSolfaではじまったパーティで、大々的にAirで開催したこともある。ビートもの好きであれば誰もが知るLAのレーベル且つパーティ(今はなき…)”LOW END THEORY” とも時にタッグを組み展開。大衆受けという発想をあざ笑うかのような刺激的なパーティで、現在もSolfaや中野のHeavySick ZEROなどで不定期で開催している。

Photo by: Miki Iwasa

ターニングポイント Solfaの店長に

Solfa創業から5年ほど経過したころ、初代の店長が辞めるタイミングでCASHYさんが店長になることに。そのタイミングで、BLAFMAを終わらせることを決意。惜しまれる中、幕を閉じる。
Mr.3の影響の他に、彼がヒップホップビートミュージックを軸としてパーティを展開するようになるには2つのきっかけがあった。
ひとつには、BLAFMAにおいてTHA BLUE HERBのO.N.Oさんのマシーンライブを目の当たりにしたことだった。マシーンを操り、音を繰り出すその一部始終に釘付けとなり、彼自身もビート制作をはじめる。この一連の出来事が、ヒップホップビートを更に深掘りしていくきっかけとなる。

また、現在SolfaでCASHYさんの右腕として働くU-Tさん(彼もDJである)の存在がもう一方の要因。U-TさんはCASHYさんと同様に長野出身、U-Tさんが東京に出てくる前からすでに知り合いで、CASHYさんにとっては、人間としても音楽センス的にも信頼のおける後輩といった存在だった。そんなU-TさんをSolfaに誘い働くことになったわけだが、U-Tさんの音楽領域がハウスが中心だったことから、「その領域は彼に任せらる」という信頼もあって、CASHYさんが組むパーティは気がつけば、ヒップホップを軸とするようになった。
こうして現在の、ヒップホップミュージックとハウスなど四つ打ちの音楽を軸としながら、パーティを展開していくSolfaのスタイルができていった。

(Part3 へ続く)

Oct 27nd / 2019
Interview & Write: Jasmine


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